小田さんの出版状況クロニクルに、2014年の年間出店大型店ベスト10が載ってました。(http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20150201/1422716402
■2014年 年間出店大型店ベスト10(単位:坪)

順位 店名 売場面積 所在地
1 コーチャンフォー若葉台 1,000 東京都
2 蔦屋書店長岡新保店 911 新潟県
3 蔦屋書店東松山 900 埼玉県
4 ゲオ藤岡店 790 群馬県
5 スーパーセカンドストリート大宮日進店 700 埼玉県
6 ジュンク堂書店滋賀草津 658 滋賀県
7 ゲオ笠懸店 650 群馬県
8 ゲオ木田余店 630 茨城県
9 TSUTAYA八戸ニュータウン 600 青森県
10 ゲオ塩沢店 600 新潟県

でもこれ、レンタルやら何やら坪数が加算された状態でのランキングです。これだとツタヤとゲオがいっぱいランクインしてきて実情がよくわからないので本の売場面積だけで集計してみたらこうなった(一部推計)、という表をつくってみました。

■2014年 年間出店書籍売場大型店ベスト10(単位:坪)

順位 店名 売場面積 所在地
1 コーチャンフォー若葉台 1000 東京都
2 ジュンク堂書店滋賀草津 628 滋賀県
3 大垣書店イオンモール京都桂川 560 京都府
4 蔦屋書店東松山 400 埼玉県
5 未来屋書店岡山店 386 岡山県
6 未来屋書店茶屋店 385 愛知県
7 田村書店ららぽーと和泉店 334 大阪府
8 湘南蔦屋書店 305 神奈川県
9 ハイパーブックス水口店 300 滋賀県
10 未来屋書店和歌山店 285 和歌山県

ダントツ1位は安定のコーチャンフォーで変わらずでしたが、結構顔ぶれが変わりました。
5店舗あったゲオが消えて未来屋書店が3店舗ランクインしています。ランキングとしてはこっちのほうが感覚的にはしっくりくるような気がします。何となく書店っぽくなりました。
ところでこの新規出店の坪数ランキングを見て、ベスト10のなかに300坪未満の店がランクインしていることに少々驚いております。
書店は巨大化する一方!という話をよく聞きますが、実は2014年、足元では複合店の坪数を除いてしまうと、200坪台でベスト10入りしてしまうような事実が進行してたんですね。5位の店舗でも400坪ありません。一時のメガショップ出店ラッシュから考えると、大きく様変わりしています。
これは巨大な書店では坪数に応じた収益をあげられず、地代家賃負担に耐えられない既存店が増えた結果、出店戦略上、メガショップはもう出店しないという経営判断が働いたケースが多かったからではないかと推測しています。大型書店はすでに儲からない業態になってるんですね。
一方で、100坪未満の小型書店の閉店が止まらないという現象は同時に進行しているわけです。
しかもその閉店ラッシュは、もうすぐ150坪サイズの店にも拡大する可能性も高いとも言われており、そうなると、本当に今後どれだけの書店が生き残ることができるのか、と暗澹たる未来をちょっと想像しそうになったランキングでした。
杞憂だといいですね

プロダクトアウトとマーケットイン

店舗をつくるにあたっては、プロダクトアウトとマーケットインという考え方があるのですが、その適正な比率は何対何ぐらいなんだという宿題を上司からいただきまして、さてさて、どうやって答えを導きべきかと考え込んでおります。
ちなみにここでいうプロダトアウトというのは、コンセプトワークから導き出して「こういう店をつくりたい」という発想ありきの考え方を指します。これを重視すると、店舗の作り手がやりたいことや表現したいものがそのまま売場にストレートに反映されるので、大抵は個性的な店になります。代表的な例としては「松丸本舗」が挙げられるでしょうか。あれは松岡正剛氏のやりたいことに100%振り切った完全なプロダクトアウト型書店でした。このプロダクトアウト型の店舗は、個性的で非常に素晴らしい店が出現する一方で、その多くが「顧客の需要」という商売の基本を軽視してしまいがちのために、さっぱり売上がいかず、経営的には苦しい店が多いという特徴があります。
反対概念であるマーケットインというのは、その店舗の立地に存在する顧客の需要にあわせて店をつくろうとする考え方です。これを重視すると、お客様の欲しがりそうな本の品揃えがどんどん強化されていくことになるのですが、それって要はよく売れるベストセラー本ばかりが揃えられていくということになるので、大抵は没個性的な店になります。代表的な例としては、そこらへんにあるチェーン店が大抵そうなんじゃないでしょうか。このマーケットイン型の店舗は、売上はそれなりに稼げるのですが、店は必然的に金太郎飴化するので、面白みに欠ける店が量産されるという特徴があります。
そこで通常店舗をつくる際には、この二つの考え方を組み合わせるわけですが、その比率は何対何がベストなのか、という最初の問いにもどるわけなんです。
そこでちょっとここで昨夏に出ました名古屋発の芸術批評誌「REAR」の32号をとりだしてみましょう。特集が「本をとどける」なのですが、何とこの号ではヴィレッジヴァンガードの菊地さんと、ちくさ正文館の古川さんという伝説のお二人が対談されているのです。WOW!
で、この対談のテーマタイトルが「芸術と通俗という葛藤の中で」なんですけど、これがまさにプロダクトアウトとマーケットインのバランスの話なんですよね。
なぜ菊地さんはヴィレッジヴァンガードを作ろうと思ったのか、ヴィレヴァンの真似をした店はどうして滅びていったのか、全国のSCに店舗網を拡大してかつて持っていた牙が抜かれてしまったような今のヴィレヴァンを菊地さんはどう思っているのか、これが本当に面白い。

菊地 そうですね。でもイオンとか生活創庫にでて、立体BRUTUSじゃ立ち行かなくなったんですよね。基本的にはお客さんと対話しながらインターフェイスしながら品揃えしていきますから、立ち行かなくなった。そうすると中学生・高校生も相手しなくちゃならない。それからファミリーもおばあちゃんおじいちゃんも相手しなくちゃならないってなった時に、ヴィレッジヴァンガードの猥雑さを残しながらも、BRUTUSのクールな感じが失われていって、つまり『BRUTUS』から『月刊宝島』になったんですよね。BRUTUSは公称2万部です。月刊宝島は最盛期は70万部。つまりそれだけマーケットを広げたんです。BRUTUSに僕がこだわっていたら今はないですよ。潰れていましたねえ。
そういう店よくあるよね。昔BRUTUSに載っててかっこいい店だなあってバックナンバー見て、行ってみようってなったらもうなくなってる。そういう店になってました。だから古田さんと、ちくさ正文館が生き残っているのは、本当にすごいことだと思いますよ。

昔のヴィレッジヴァンガードの社員は芸能人連れてきて、コラボやったら引いたんですよ。今の若い子の傾向としては、「きゃりーはいい!」そういう感じなんですよ。僕もサブカル大好きで、クラシックよりジャズ、歌舞伎より落語、が好きなんですよね。今のサブカルきゃりーぱみゅぱみゅ。「原宿カワイイ」がサブカルチャーなんですよ。(中略)つまりそこを、ヴィレッジヴァンガードは取り入れないと、なかなか難しいんですよ。

今の自分を肯定しないと先に進めないじゃないですか。僕はヴィレッジヴァンガードみたいなへんてこ本屋が各地にあるっていう社会性よりは、大きな雇用を生むことで彼らが住民税や所得税を払える、そういう社会性を帯びていることのほうが嬉しい。しかもうちでしか働けないような奴ばっかりの濃い雇用を生んでますから。

この対談では、ヴィレッジヴァンガードがプロダクトアウトな店舗から、マーケットイン型の店舗に移行していったことへの菊地さんの心情が語られていて大変興味深いですね。もっとも、世の中の一般書店的には、逆に現状のマーケットイン偏重からプロダクトアウト比重を増やしていくという、ヴィレッジヴァンガードとは逆の作業を必要とされているので、参考にならないかもしれないですけどね。
ところでここには書ききれませんでしたが、このREARの対談では、前衛的サブカルチャーは1981年頃にすべて出し切られて、あとは同じところを何周もまわっているだけ、今の若い人たちが最先端だと思っているものは実はもう何周もまわったものをおさらいしている状況なんだという、古田さんの展開するサブカルチャー論や、お二人のアマゾンに対する評価などもあって内容盛りだくさんで非常に面白いので、興味のある方はぜひご一読を。
で、結局何対何ぐらいがいいんだろ。

町の本屋さんについて、一年間考えた本

本屋会議

本屋会議

『本屋図鑑』もいい本でしたが、この本もいい本ですね。夏葉社さん。
ということで、個人的にこの本がとても良かったところを、挙げていこうと思います。
この本のテーマは「町の本屋さん」についてです。ここのところ毎年こんなニュースが流れてますよね。
http://irorio.jp/nagasawamaki/20150106/193012/
こういったニュースを見て、読書離れだ、少子高齢化だ、アマゾンだ、電子書籍だ、となんだかんだ外野から言うのはとても簡単なのですが、この本では安易に結論を出すことをせず、もう少し深くこの問題を考えてみたい、とそこであえて立ち止まります。
本当に町には本屋さんが必要なのだろうか、と。
町の本屋さんの役割とは何なのか。それは勿論その地域の環境によって異なるし、その地域の住んでいる人によってあるべき書店の像も変わってしまうのですが、これまで語られてきた書店論では、そんな実は当たり前のことである、本来の顧客である地域の人々からの視点が欠落したものが多かったと指摘されています。同感です。
この本では、読書離れだ、少子高齢化だ、アマゾンだ、電子書籍だという現在の環境を考えながらも、現在も経営環境の厳しい地方で営業されているいくつかの本屋さんに実際にインタビューし、あるときはその意義を、あるときは未来を、あるときは反省を聞きながら、何が本質的で大事なことなのか、明らかにしようとしていきます。
すごいなと思ったのは、そういった中で、昔ながらの「町の本屋さん」を惜しむ気持ちの本質は、実はノスタルジーなんだということを言い切ってしまったことです。

そこからくっきり見えてきたのは、お客さんたちが持つ、さまざまな「本屋さん」の体験だ。
多くの参加者たちは「本屋さん」に一番必要なものはなんですか?」という問いにこたえる前に、幼いころに通った(またはあこがれた)本屋さんの話をした。あたかも、それ抜きでは「町の本屋さん」のことは語れないというふうに。
それらは単なるノスタルジーといってしまえば、それだけの話なのかもしれない(そもそも「本屋さん」という言葉にはそうしたものを誘発する力がある)。
けれどそれだけではないと思うのである。
つまり、本屋さんが好きな人は子どものころから本屋さんに通った(またはあこがれていた)からこそ、本屋さんが好きなのではないだろうか。
それはいい換えれば、本屋さんを必要としている人は子どものころから本屋さんを必要としていたからこそ、本屋さんが必要であるともいえる。

ぼくは「町の本屋さん」が一軒でも多く残ってほしいと願う。(中略)けれど気をつけなければいけないのは、そうした切なる願いと、本屋さんの本来的な必要性というのは、まったく別のものであるということだ。
「本屋さんが必要」な理由は、その実用的な意味というよりも、公的な意味というよりも、それぞれ個々のノスタルジーから来ているといったほうが正しいだろう。

さらに、この論考はここで終わらないのです。その上で実店舗の本屋さんが果たすべき役割について考えをめぐらしていきます。
より便利にWEBで同じものが買えてしまうこのブロードバンド時代の中にあっても、輝きを失わない恵文社一乗寺店の堀部さんにその秘訣を聞き、その一方で同じ時代環境にあって閉店することになってしまった海文堂の福岡さんの話が対比されます。
ものすごく勉強になる、と同時に何をしなくてはならないか、自然と見えてきます。
この本では空犬さんによる「本屋さんの五〇年」という町の本屋さんの歴史について書かれた章も読むことが出来ます。このノスタルジーあふれる私的本屋史もすばらしかった。学習参考書が主力だったころの町の本屋さんの様子が、写真や図面付で紹介されています。
この本はいい本ですね。夏葉社さん。

タイトルは森有正『思索の源泉としての音楽』にちなんでつけられていますが、「鉄」学者として有名な原武史氏の「鉄道ひとつばなし」シリーズの4巻目です。何故このようなタイトルになったかは、この本の序文を読んでいただくとして、今日はこの本の第一章で扱われている「東日本大震災と鉄道」で指摘されている「日本鉄道史上未曾有の事態」について、とりとめもなく書きます。
未曾有の事態とは何かというと、東日本大震災以来3年以上経過しているにもかかわらず、いまだ不通の区間があるということ。
先月購入した時刻表を見ると、仙石線高城町−陸前小野間の11.7キロ。石巻線の浦宿−女川間の2.5キロ。常磐線の竜田−原ノ町間の46キロおよび相馬−浜吉田間の22.6キロ。山田線の宮古−釜石間の55.4キロの合計138.2キロがいまだに復旧していません。ちなみにこの本が書かれた2011年10月は震災から7ヶ月が経過した時点では、391.6キロが不通区間だったので、少しずつは復旧していますが、これまで日本が経験してきた災害と比較すると、考えられない遅さだと指摘しています。
東日本大震災よりも多い10万人の犠牲者を出した関東大震災ですら、2ヶ月でほぼ全線が完全復旧。
東京大空襲では3月10日未明に東京の下町が壊滅的な襲撃を受け、鉄道網も寸断されたが、10日当日の12時20分には東京ー有楽町間が復旧、11日に北千住−三河島間、新橋−浜松町間、13日に浅草橋−両国間、14日には両国−平井間が復旧。
阪神大震災では、あの甚大な被害にも関わらずJR東海道本線は4月1日に、山陽新幹線は4月8日に、阪急神戸線は6月12日に、阪神本線は6月26日に全通していて5ヶ月でほぼ復旧していて、それらを考えると、いかに現在の東北の鉄道不通区間の多さは、異様(もしくは意図的)なものであるかということなんですね。この話を読んで、阪神大震災時の鉄道復旧については確かプロジェクトXにあったなと思い、六甲道駅の復旧工事についてのこのDVDを観てみました。この中に出てくるのですが、JR六甲道駅前にあった書店の方が、この難工事に対しておこした男気のある行動に私は胸を打たれました。
阪神大震災から20年という節目を迎え、特別番組がテレビで連日放送されていますが、このDVDはそれらとはまた別に、見てらっしゃらない書店員の方がいらっしゃいましたら、ぜひ見ていただきたいなあと思った次第です。

紀伊国屋書店の渋谷店の文庫フェアについてです。
一書店の一フェアが、ここまでボロカスに言われる世の中で、我々は仕事しているのだということを、あらためて認識した次第です。
紀伊國屋渋谷店の「女子向けフェア」に予想外の批判が集中 - ライブドアニュース
元・紀伊國屋書店店員から見た、渋谷店の「本当は女子にこんな文庫を読んで欲しいのだ」フェア炎上 - 邯鄲の枕
「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた - 田舎で底辺暮らし
http://papuriko.hatenablog.com/entry/2015/01/07/112129
上記読んでいて、同業者として気の毒に感じたので、ここはあえて応援のエントリを書くことにします。

まず最初に、この店はちゃんと自分で選書して自作のコメントPOPつけて、フェアを実施するなんて、それだけですでに素晴らしいと思います。
日本の書店の半分以上は、多分それすら出来てない。日々の激務をまわすのが精一杯で、出版社から送られてくる日本全国均一のフェアセットを入れ替えるだけで精一杯、売れ筋商品を調達し、死に筋商品を見極めて返品するという多忙な日々の中で、自作コメントを書く余裕すら失っている書店のいかに多いことか。紀伊国屋書店渋谷店の方たちは多分、そんな業務をこなしつつも疲れた体に鞭をうち、少しでも自分の愛している本を世の人々に送り届けようという純粋な想いから、フェアを組んだのでしょう。
それがわからない人もいるし、そういうことを想像できない人が少なくないことも知っているし、そもそもそれはお前ら店側の都合であって客には何の関係も無いんだよと簡単に斬って捨ててしまえる人が多いことも知っていますが、そうじゃない私のような人もいるので元気出してほしいです。

次にフェアやPOPの内容についてですが、確かに素晴らしいものとは言えなかったかもしれません。それはもうあちこちで指摘されているので自明のことだと思います。でもまあ私見ではありますが、ネットで叩かれても文句言えなさそうなレベルの代物は、世の中にはもっとゴロゴロ転がっているように思いますし、それらと比べるほどにひどかったようにも思えません。自らの非は認めた上で、それ以上に世間は過剰なんだと思ってたほうがいいと思います。今回の教訓を糧に、次回はそうならないよう研鑽を積み、新たなフェアに挑戦して欲しいです。
最後に、店には価値観の違う色々な方が来られます。今回のように自分たちの価値観とは違う方から、自分たちの提案を全否定されるようなことは、今後も起こりうることでしょう。でもそのときに、自分を曲げないことが大事だと思います。
今回、すぐにフェアを撤収して「そんなつもりじゃなかった」コメントとともに謝罪されてましたが、自分たちで意志をもって売場をつくったのなら、最後まで貫く覚悟でやって欲しいですね。誰に何と言われようと、私はこのフェアでお客様を感動させたい、本を届けたい、という覚悟をもって、フェアの内容に責任を持つべきだと私は思うのです。何か言われて、責任をとれないレベルのフェアは、やるべきではない。
誤解を恐れずに言うと、お前らに好かれたいがために読むわけじゃねぇんだよ!と言われたら、お前に好かれたいために薦めてるんじゃねぇんだよ!と言い返せるくらいの強い気持ちでフェアをやんなきゃってことです。その覚悟がなく中途半端な気持ちを露呈したら火傷します。ま、今回については元が元なんで、そんなことを言ってしまったら火傷どころではすまなかったでしょうが。
ということで、来週渋谷に行く用事があるので、見学に行きます。逆境に負けずに頑張ってくださいね!

年賀状本について

さて、お正月ですので本日は年賀状について書いてみます。
年賀状もそもそもの日本の人口減に加え、電子メールやLINEなどのアプリの普及もあって、2003年をピークに年々発行枚数は減少しているみたいです(http://www.garbagenews.net/archives/2114695.html)。それでもまだ33億枚も売れてるんですね。
書店で年賀状、と言えば、そうです、年末の風物詩「年賀状素材集」に決まっているわけですが、久々に書店現場に戻ってきた私は以前との違いに少々驚きました。何がどう違ったかという話なんですが、まずはちょっと、私が以前書店にいた2008年ごろの年賀状本売上ベスト5を見てみましょう。

あっという間に年賀状 2009年版

あっという間に年賀状 2009年版

かんたん年賀状素材集 2009年版

かんたん年賀状素材集 2009年版

世界一簡単にできる年賀状 2009 (宝島MOOK)

世界一簡単にできる年賀状 2009 (宝島MOOK)

パパッと出せる年賀状 2009

パパッと出せる年賀状 2009

次に、2014年の年賀状本の売上ベスト5を見てみましょう。
世界一かんたん定番年賀状 2015

世界一かんたん定番年賀状 2015

あっという間に年賀状 2015年版

あっという間に年賀状 2015年版

はやわざ年賀状2015 (インプレスムック)

はやわざ年賀状2015 (インプレスムック)

もらってうれしいおしゃれな年賀状 2015

もらってうれしいおしゃれな年賀状 2015

速効!筆まめ年賀状2015

速効!筆まめ年賀状2015

気付きました?
2008年は460円から530円くらいだった年賀状本の価格帯が、年々確実に価格破壊が進行し、2014年は398円400円400円!と400円前半が当たり前になってしまっているのですよ。もっと前は1000円近くしてたような気がするんですが、わずか6年で同じ出版社の同じタイトルシリーズでも20%以上、価格が下落しているのです。売上冊数自体が落ちている上に、一冊の単価までがこんなに落ちているとは、改めて久しぶりに現場に戻った私にはちょっと衝撃でしたよ。そりゃ売上もあがらんわ。いやはやデフレ恐るべしですねー(違)。
ところで、この年賀状本ですが、いつまで生き残ることができるでしょうか。
最近のパソコンはタブレットが主流になってきているため、そもそもCD-ROMドライブを搭載してないんですよね。ということは、今世の中に出回っているPCが寿命となり、市場がドライブ無しのタブレットに置き換わっていった時、この年賀状素材フロク商法が終焉を迎えるのは必然だということなのです。
でもすでに現段階でこれだけ低価格路線に走ってしまっていると、何だかそもそもそれ以前にもう厳しいのかなぁと思ってしまった昨年末なのでありました。というわけで、今年もよろしくお願いします。
追記:画像が表示されないバグで意味不明のエントリになっていることをお詫び申し上げます。

電子書籍の紙化

http://www.asahi.com/articles/ASGDW4T7ZGDWUCVL00D.html
ソフトバンク孫正義社長が、紙の本は30年後にはなくなっていると宣言されたのが2010年。あれから5年経過しましたが、今のところ紙の本はまだ生存しております。
でもまあ電子書籍もじわじわと少しずつ普及してきていますよね。こういうニュースをよく見るようになって、リアルに実感できるようになってまいりました。
ところで一方、書店の現場では、2014年、逆流現象とも言える面白い事態が進行しました。ネットで連載されているコミックスが、続々と単行本化されて書店の店頭に並ぶようになったのです。
特に多かったのが、講談社のコミックス。DeNAのマンガボックスからの単行本化がやたら多かった一年でした。9月11日に創刊した小学館のエッジスタとか、7月に始まった秋田書店のチャンピオンタップとかもネットコミックの紙化ですよね。
30年後では、まさか!そんなのあり得ない!ってなことになっているかもしれませんが、2014年ではネットでいつでも読めるコミックを、わざわざ紙に印刷しなおして物体化し、書店で売られているわけなんですね。OH!クレイジー
今のところ、紙の雑誌で連載されているものと比較すると、圧倒的に売上に差はありますが、こういう中からヒットが生まれると、コミックのビジネスモデルにも変化が生じる可能性があるのではないかと思っております。
というか、もうすでにヒット作は出てきています。

ReLIFE 1 (アース・スター コミックス)

ReLIFE 1 (アース・スター コミックス)

この「ReLIFE」は無料コミックWEBサイト「COMICO」の看板作品ですが、当店での1巻の売上はすでに3桁に達し、立派にAランク作品並みの売上を記録しています。実際絵もきれいで、全ページカラーだし、話も面白いですね。
でも一番すごいと思ったのは、もともとスマホで縦スクロールして一コマずつ読んでいくスタイルのマンガなのに、単行本ではまるで元が普通のコミックであったかのように、コマ割りが完璧にされてたことなんです。作者もそれについては言及していたけど、いやいやこれは謎の技術ですなー。
うがった見方かもしれませんが、もしかすると、この「ReLIFE」の紙の単行本が売れたのは、「WEBマンガなのに普通に読める」ことにあったのかもしれないですね。
逆に言うと、普通に読めないWEBマンガは、それだけで何か損してるってことなんでしょうかね。