②著者別陳列は、理想の陳列方法でしょうか?

間があいてしまいました。今回は、著者別陳列の長所と短所について検証してみましょう。百聞は一見に如かずということで写真で検証してみます。
1 作家のPUSHがしやすい
司馬遼太郎の文庫をまとめた陳列の写真です。特に有名な作家さんであればあるほど棚スペースをまとめてとることが出来るので、この並べ方は有効です。ある程度まとまっているので見た目も綺麗に見えます。司馬遼太郎などは1スパン使ってしまえますからね。
著者別陳列のいいところは、その作家さんのファンを作り出すことが出来る確率があがることですね。私もそうなんですが、この作家さん有名だし、気になるから読んでみようかなーとか思っていても、たくさんありすぎてどれから読んだらいいのかわからない、何となく手を出しづらいまま月日がたってしまうというパターンは結構あるものなんです。でもそういうお客様にはかなり有効な陳列だといえます。たとえば、宮部みゆきってよく聞くけれども読んだこと無いんだよねーという人に、まずは「火車」から読みましょう!とオススメできるのは著者別陳列の醍醐味です。
2 出版社がどこか分からなくても、作家名がわかれば探し当てられる
まあ、その通りですよね。でも実は出版社陳列でも中身は五十音順なので、時間をかければ探せると思うんですが、私はかつて上司にそう言うと「そんなことはない!」と怒られましたので多分触れてはいけないことだったのでしょう。
3 差別化が出来る
大多数の本屋さんが出版社別陳列を採用している中、わざわざ著者別にしている、というのは一つの売りになるかもしれません。売上見る限りあまり効果はないのですが。
4 出版社の規模に関係なく商材を扱える
小野不由美の「黒祠の島」(祥伝社文庫)もちゃんと「屍鬼」(新潮文庫)と同列に並べられるということですね。

1 売場がみづらい
はい、では次に欠点を検証してみましょう。上の写真ごちゃごちゃしてますね。作家ごとに1冊2冊しか並べるものがない場合、こういう陳列になります。見た瞬間に、やはりごちゃごちゃして汚いと感じてしまいますね。せめて著者名の並びだけでもあっていればいいのですが、講談社は上段、新潮社は下段、角川は上段、文春は下段と統一されていません。
色合いもバラバラだし、書名の字体も異なっているので混沌とした売場に見えてしまいます。同じ著者が複数冊数出しているときは綺麗に並んで見えるのですが、1冊しか出していない著者の文庫は、見た目で大きなハンデがあります。
2 コンテンツ分類が混沌としてしまう
出版社別陳列の場合、ある程度刊行文庫のコンテンツカテゴリーには制限を設けているので、全然違うジャンルのものが無秩序に並ぶということは、あまりありません。
同じ出版社でも、明らかに異質ジャンルの文庫は、「学術文庫」とか「X文庫」とか「+α文庫」とか「文芸文庫」など、シリーズをわけてしまうのでそうした事態が発生しにくいわけです。
しかし著者別だとそうもいかなくて、赤川次郎秋元康芥川龍之介浅田次郎あたりはまだ許せるとしても、中村うさぎ中山可穂⇒中山庸子⇒梨木香歩⇒夏樹静子⇒夏目漱石とかになってくると、こりゃもう読者層が全然ちがうし、写真のような海外文庫の棚にいたっては、わけがわかりません。
これを回避するワザとしては、まずコンテンツ別に分けてから著者別に並べるという方法もあるのですが、田中芳樹のような人を、SFに入れるのかファンタジーにいれるのか歴史小説にいれるのか、迷ってしまうという欠点があります。とはいえコンテンツ分けしないと長大な棚になってしまうし…。頭の痛いところです。
3 不良在庫がたまりやすい
これは出版社別陳列の長所で述べたのですが、著者別陳列では逆のことが起こります。管理レベルが低いとあっという間に不良在庫の巣窟に…。
4 オペレーションスピードが遅い
ある程度は「慣れ」で回避できるのですが、やはり発注や陳列スピードの効率がさがります。スピード効率が落ちるのは商品知識もある程度要求されるのが影響しているようです。著者名も知識がないと並べづらいのですね。私はこれまで、西原理恵子が「な行」に入ってたり、北村薫が女性作家に高村薫が男性作家に分類されている店も何店舗も見てきました。かなり恥ずかしいです。ちなみにそういう私も昔、峰隆一郎隆慶一郎を混同して一緒に並べていたことがあります(アホですね)。著者別陳列は、スタッフに商品知識がないととんでもないことになる可能性があります。
5 長大な棚になりがち
自動的に探しにくくなります。
6 平台が作りにくい
日本の売れ筋の作家ってなぜか「あ行」と「ま行」に集中しておりまして、平台がつくりにくいのです。著者別陳列だと「あ行」の前には、赤川次郎浅田次郎内田康夫という大御所がいて、さらに江國香織を積み、小野不由美を積み、大沢在昌を積むので、伊坂幸太郎のスペースすら確保できないという事態が発生します。有栖川さんや綾辻さんや我孫子さんは、積んでもらえないので姓名学的に結構損してると思います。(島田先生の陰謀?)
「ま行」には常に村上春樹村上龍が積まれていて、さらに宮部みゆき森博嗣があって、松本清張宮本輝もいるため、三浦しをんが可哀想なことに平積みできません。なんかバランスが悪いのです。これは著者別陳列がどう、ということでもないと思いますが、結果的にそうなっちゃうんですね。

次回はこれらを踏まえてどうすべきか、の結論部分に入っていきます。