尾道坂道書店事件簿

尾道坂道書店事件簿

尾道坂道書店事件簿

広島の書店チェーン啓文社の児玉さんが書かれた本。Webで連載されていたときから読んでいましたが、まとまったものを読むとまた格別です。
実はWeb連載中にこういう記事を書かれている児玉さんのいらっしゃる啓文社はどのような書店なのだろう、と、どうしても気になってしまって、思わずふらりと尾道まで行ってしまったのが約一年前。千光寺におまいりし、大林宣彦監督のロケ地をめぐり(実は私は「ふたり」の大ファン)、林芙美子の石碑を読み、尾道ラーメンを食べ、珍寺界では有名な生口島の耕三寺にまで行ってきてしまったのですが、大変楽しかったです。尾道いい町素敵なところ、あんなに街歩きが楽しいところは珍しいので、ぜひ一度行ってみてください。
すみません、啓文社の話でしたね。
この本なんですが、普通だったら社外秘レベルになるような会社の戦術的な話がたくさんでてきます。そのため会社として何を考え、戦うために何をするべきか、書店経営の戦略戦術を考える上で、実に実戦的な教科書になっており、書店員としては非常に勉強になるかなりありがたい本です。私も上司に「啓文社さんでは、こういうことやってるみたいですよ。うちでもやるべきですよ」「なるほど、これはすごい、すぐやろう」みたいな感じでこっそり利用させていただいたりしておりました。
でもこの本で特に注目したいのは、地方で書店をやっていく上での、お客様に接するときの心構えといいますか、書店をやっているということに対しての責任感といいますか、そういう思想的な考えかたの部分ではないでしょうか。
「地方の書店も眠らない」という項があるのですが、そこには都市部と地方の情報格差に負けまいとする地方の書店ならではの自負というか誇りが顕れていて、大変興味深く読ませていただきました。

情報だけでなく、地方書店は書籍の入荷する数も少ない。販売シェアに合わせて配本したとすると、二十パーセントが東京都内の書店、残りの八十パーセントが北海道から沖縄までの書店に届けられる。

ベストセラーを追いかけるだけでなく、提案型の展開をし、自店ならではのベストセラー、ロングセラーを作る。お客さんの声に耳を傾け、それをもとにした独自の売場を作っていく。メインターゲットを明確にし、その層にあてたフェアや品揃えを展開していく、などなど。売上規模が小さいのだから、これらをローコストでやる必要がある。

結局、首都圏の大型書店と地方の書店の運営方法は似て非なるものなのだ。(中略)人口の多い都市型の大型書店でのノウハウは、地方の人口の少ない町では通用しにくい。(中略)地方には地方の書店ならではのやり方があるのだ。

この意見には私も全面的に賛成でして、事実売場設計の面でも品揃えの面でも、地方と都市部では、受け入れられるものがまったく違います。しかしそういう目に見える物理的な違いよりも、目に見えない考え方が大きく違うような気がしてなりません。
「地域の担い手」という言葉がでてくるんですね。担っているんですよ、啓文社は。尾道を、福山を。
都市部の書店は、担っている感覚がほとんど無いんです。地方の書店がお客様を支えている感じなのだとすると、都市部では逆にぶらさがっている。その差が大きいような気がする。地方の書店が成功するかどうかは「地域密着」が鍵だってよく言われますが、この「地域密着」の正体って、つまるところ、この「担う」感覚なんじゃないの?という気がします。
都市部の多くの書店は、ある意味、お客様に合わせてる「だけ」、店側はオートマティックに売れるものを品揃えすればよく、そうするだけで本が売れていきますので責任感が希薄となります。地方では、そもそものお客様の絶対数が少ないわけですから、お客様を「創出する」ことが求められます。お客様を自店の努力で生み出し、育て、増やす、そういうお客様をもマネジメントする思想と技術が無いと、売れる本も売れないわけです。お客様とともに育てていく売場と品揃えなのですから、責任の重さは、都市部の店舗とは比較にならないかもしれません。途中、地元でのホリエモン亀井静香の選挙戦の話が出てくるのですが、そのときに啓文社ではどのような売場と品揃えにするべきか、実に真剣に語られるエピソードがあり、そこに私はその強い思いを感じたのでした。
ところで、そんな啓文社の格言は「合理主義者は祭りをなくす」なのだそうです。でもちょっとこの言葉には賛成しかねますね。本物の合理主義者を私は知っていますが、彼らは祭りを否定しないんですよ。そのかわり、祭りそのものを非常に合理的な祭りにしてしまうんですね。いやそれもどうなんだ、と思いますけどね。