文芸誤報

文芸誤報

文芸誤報

斎藤美奈子週刊朝日で連載していたベストセラーおよび話題の文芸書の書評集なのですが、いやはや、さすがだわ。
持ち上げては落とし、落としては落とす、というその快刀乱麻な筆さばきに抱腹絶倒。それでいて、どんなくだらない本でもちゃんと読者に読ませたいと思わせる、大人の配慮ある推薦文までもがセットでついているのである。名人芸としか言いようが無い。
普段文芸書はほぼ読まない私だが、紹介された172冊の中に読みたい本がゴロゴロ見つかって嬉しくなった。そうそう、「あれもこれも」と読みたい本がいっぱい見つかってウロウロしていていると楽しくなる書店を訪ねるのとこの感覚は似ている。
さて、この本の173冊目に紹介されているのは斎藤美奈子著「文芸誤報」、この本そのものである。まあ早い話、あとがきなわけなのだが、あまり本気ではないないだろうと思われるいつもの自虐ネタとこんな本信用しないほうがいいぜ的な批評家常套手段的予防線がある他に、昨今の文芸書を軽く俯瞰している文章があって興味深い。

「ロストジェネレーション」などと称される団塊ジュニア以降の作家が文学の世界にも参入し、世代交替は相当進んだ。と同時に書かれる小説の質も変わってきた。一言でいうと、新世代の文学は「持たざる者の文学」である。WHATの面から言えば、描かれるのはフリーターをはじめとする明日の見えない若者たち。HOWの面から言えば、しゃべり言葉に近いアナーキーな日本語の氾濫。
理由はまあ、いろいろと考えられよう。
(1)20世紀末までは辛うじて残っていた教養主義が完全に解体したこと。
(2)市場原理主義新自由主義の浸透によって生活環境が厳しさを増したこと。
(3)ネットやケータイの普及でコミュニケーションの質が根底から変わったこと。
「感動で涙が止まりませんでした」式の作品ばかりがもてはやされるのも、児童文学と区別がつかないような作品が増えたのも、ケータイ小説なぞという新手のジャンルが登場したのも、右と無縁ではないだろう。水は低きへ流れるのである。

的を射ているなぁ。出版社はそのへんの時流の変化を読み取って、ちゃんと世の中で必要とされる本を作って欲しいものだ。文芸書に限らずね。
評価B